校訓
学校の歴史
明治5年、学制の制定により明道、蟹嶋、普通学校の3校で発し、 明治15年、3校が合併し亀崎学校となり明治25年には、
亀崎尋常小学校と改称され、幾多の学校沿革を経て、 昭和22年半田市立亀崎小学校となる。
この間、児童数は、明治32年500名、昭和33年には、最高の1360名、 その後900名前後を維持した。
いったん減少したが、のぞみが丘の造成などにともない、平成21年には児童数932名の市内有数の大規模校となっている。
校舎は 昭和62年5月までに改築され、近代的なコンクリート建築になった。
平成19年には、3舎が増築され、音楽室、図工室の移転および一般教室、下足室が増設が行われた。
平成21年は英語授業必修化にともない英語ルームが設置された。
平成24年、半田市教育委員会より防災教育研究校として委嘱を受け、防災学習室が設置された。
平成30年、半田市教育委員会より研究委嘱を受け「確かな学力を身に付け、夢や目標に向かって自らを高めようとする子」の育成をめざす。
令和5年 半田市の学校施設更新計画により、新校舎建設の準備を始める。
令和6年 1月(3学期)より、仮校舎(運動場東側)での活動となる。(令和7年12月までの予定)